28年前のテープ

ひょんなことから28年前のテープが出てきた。

16歳位の頃のバンド練習テープだ。

ビートルズのコピー演奏をしているようだ。

ただ、下手くそ度が凄まじい。

しかし必死で演奏している。

そのひたむきさもハンパない。

どこからそのパワーが出てくるのかというもので

笑いが止まらない。が、馬鹿にはできない感じ。

演奏はゴミみたいなんですが、どこからそのやる気が出てきてるのか、

こんなに演奏下手くそなのに嫌にならないのか不思議です。

テープはこれ↓

懐かしい、TDKのAD46であります。

なんで46分なんだ?良くわからないですが。

いまテープをかける機械もなくなってきた。

だけど中学の頃、貸しレコード屋さんに行って、こういう

テープにダビングしてタイトルと曲名書いて

棚に並べたりして。楽しかったなぁ。

しかし、このテープ、マジックで

「まとちゃんvsのぶくん」マル秘と書いてある。

自分の事、まとちゃんって書かないし、誰書いたんだろ?

まったく解らないけど女性の字だなこれは。

20年以上経ってるのでもはや謎だ。

窓の桜が少しだけ咲いてきた。

大雨

今日は夕方すごい雨と風だった。

仕事中だが、窓から外をのぞくほどだった。

洗車機にかけられている車に乗ってるみたいな。

お昼休みは風が強いだけで降ってなかったのに。

中国の人と化した、元首相のニュース読んで

ぶつぶつ言ってたくらいだ。

「地を歩く男」を書いて思い出したのが、

19歳の頃に書いた「How much reality」という曲。

僕は浪人生であったが、僕のバンドはほぼそれ1曲を1年間やっていた。

それだけの時間を費やしてレコーディングした。

で、聴かせた人々の反応は本当に最悪の感じ。

作った本人は二度と作れないほどの最高傑作だと自負していた。

最高に滑稽な感じだけれども、不評でもいいと思える曲って

なかなか生まれないものだ。

今回もそんな感覚なんだなぁと思う。

しばらくなかった感覚だ。

でも、こんなことではやはりpopカルチャーにはほど遠いな。

ドッペルゲンガー

少し不思議な話だけども、

僕はドッペルゲンガーの経験がある。

高校2年の夏だ。

始めは同級生の女の子が駅のベンチにいた僕に話しかけた事からだ。

ギターを持っていて座っていたので、となりに座って話しかけたらしい。

しかし何も言わずに電車に乗って行ってしまったとのこと。

次の日学校でどうして無視したのかと数人の女子に言われたのだ。

その時間は別の友人といたので僕ではないと証明できて良かったのだが、

それから1週間後に同じ水泳部の同級生が僕の分身に会っている。

誰かの自転車の後ろに乗っていたそうだ。

声を掛けたら振り向いたそうだが、それも何も言わず去って行ったらしい。

それからまたしばらくして、文化祭の用意で皆が集まり、

帰りがけに記念撮影をしている時、

カメラを構えて写真を撮ろうとしている友人が

「的場じゃまするなよ、どいてどいて」と言い出した。

僕はその友人の真後ろに立っていたのだ。

皆、真っ青になった。

もうそうなってくると周りの人間は気味悪がるし、僕も怖いし。

毎日変な感じになってきた。

大阪のミナミの繁華街を歩いている時など、

向こうから自分の分身が歩いて来たらどうしようとか思い始めて

気分が悪くなることもあったくらいだ。

友人はあまり出歩くなとか、

クラスの女の子はドッペルゲンガーについて調べてくれたり、

次にもし的場の分身が出たら、腕をつかんで身元確認してやるとか、

皆が言ってくれて嬉しかった。

それで自分もよぉーし来い!みたいな気分になってきたのだが、

それからは何も起こらなかった。

ほんと良かった。

その年の夏はもう一つ不思議なことが。

僕の誕生日に3人の同級生からプレゼントをもらったのだが。

3つともジクソーパズルであったことだ。

なぜだ!?

その真意はわからないままだ。

ボウイ

そういえば僕が初めてボウイを聴いたのは友人の部屋だった。

その友人が僕に作曲をするように説得した人なんだ。

高校生の時なのだが、授業が終わると僕を廊下で待っていて

曲を作れ作れと説得しに来る。

僕はといえば、コピーバンドで楽しんでるので興味ないと答える日々。

そうすると友人はいつも自宅に僕を無理やり連れて行き

色んな音楽を爆音で聴かせる。

キングクリムゾンなんかもそこで聴いた。

かなりジャンルの幅がすごかったと思う。

jazzとかblues、クラシックも混じっていた。

ロバートジョンソンも彼に教えてもらった。

BBキングとかはレコード持ってたけど知らなかったのだ。

彼の面白いところは、かける曲が決まってから再生ボタンを押すまでが長い。

ラジオのDJどころではない。

一曲聴かせるのに、かなりのストーリーを熱弁する。

話を聞いていて、おっそろそろクライマックスだ、再生ボタンに手が…。

ってそこからまた思い出した話が始まったりするのだ。

その日はロックの日だった。忘れもしない。

イーグルスのホテルカリフォルニアとかドゥービーブラザーズとか

日本の70年代のロックなんかを聴かせてくれていた。

イーグルスの時はというと。

色んな話や伝説をさんざん話した後

「1970年代、アメリカの西海岸の若者はヒッピー文化とラブアンドピースを

追求していたんだ…、まとちゃん…。」

ガチャッ! 再生。

みたいな状況。

身振り手振りですごいから笑いをこらえるのが必死だった。

でもすごく今思えば感謝している。

作曲も始めたし。

その日の最後にボウイを聴いたわけだ。

「まぁ、今はボウイなんか聴いてて流行ってるけど、流行ってるからって

流行じゃない流行ってあるんだ。時代が呼んだグループってあるんだ。」

といった趣旨の熱弁。

僕はボウイを知らなかった。

友人は動揺するほど驚いていた。

「まとちゃん、それはアカン!一回も無いのか?耳にしたことくらいあるだろう!」

と言ってきたが僕は首をひねった。

友人の部屋は全く勉強してませんという部屋で、

机の上はカセットテープやレコードが積み上がっていて

周りは本とかの塔ができている。

なんだなんだと言いながらボウイのテープをあせって探している。

「いいよ、いいよ、今日は帰るわ。」と立ち上がったときにテープが

出てきた。

帰る、いや聴け、いやいや等と押し問答の末に

聴いたのが「DREAMIN’」だった。

ロックはまず10代のものだ。まずそこで引っかからないと

大人のロックなどないと思う。

ボウイが活躍していたその時代に17歳であったことは

またとない幸運だったろうと思う。

ボウイの音楽が吸って吐いている空気が僕らに近いのだ。

時代の空気だ。歌詞も含めて。

エモーショナルなボーカルのそしてギターのメロディ。

それを前面に立体的に押し出してくるビートに圧倒されてしまった。

洋楽のロックもいいが、歌詞と時代の空気で押してくるボウイは

間違いなく僕たちのロックだろう。

ギターヒーロー

今日はマーシャルアンプが届いた!

VS100Rだ。↓

$インディーズミュージシャン fish pocket的な状況

やはり川上君が確認してくれただけあってすごくいい音します。

これを相棒と言おうか!と思ってしまいギター弾きまくったのだ。

完全にギター始めた頃に戻ってしまい、我に返るのを忘れてしまう。

思い起こせばギターを始めた中学の頃、僕にはギターヒーローがいた。

今、感じるものとは違う。リスペクトするミュージシャンではなく、

ギターヒーローなのだ。ひつこいようだが「ヒーロー」なんだ!

誰かをひも解く。

始めは「ニール・ショーン」だ。

誰かというと、「ジャーニー」というアメリカのバンドのギタリスト。

「エスケイプ」というアルバムを何回も毎日猿のように聴いた。

色々、本屋、楽器屋を周りやっと楽譜を手に入れて練習した。

少し弾けるようになってくると、

ニール・ショーンの様な音を出したいとおもいだす。

ギターの雑誌とか立ち読みしまくり、ニール・ショーンの記事が

あったりすると購入してふむふむと感心、感動。

電車に乗って、楽器屋さんに通い出す。

そこのお兄さんに相談し、一つずつエフェクターとか揃えて行く。

ある日テレビで「ジャーニー」のプロモーションビデオの放送があるとのこと。

「セパレートウェイズ」がヒットしてたので、楽しみに観た。

かなりダサかったのである。そのビデオ。

音楽は大好きだったのだが、年頃もあり愕然である。

そして、落ち込んだ僕の前に現れたのは「神」

そうマイケルシェンカーなのだ!

これはビデオを手に入れた。通っている楽器屋のお兄さんにダビングしてもらった。

毎日、毎日おんなじの観まくった。これこれ↓

間違いなくギターヒーローだ。見よ!この勇姿を!

写真集まで買って来た。後半は海水浴している変な写真集だったけど。

僕はマイケルシェンカーになるんだ!おー!

そんな日々であるが、難しく、自分が弾くよりも観る方専門になった。

何回観ても飽きのこないのだ。

その頃を思い出した。

色々続きはあるが今日はこの辺で。

そんなマーシャルデビューの日でした。

選挙が終わって

選挙が終わりましたね。

すごい結果でした。

応援していた候補者も当選して本当に良かった!嬉しいです。

年末で仕事も忙しいですが、会社の年賀状もやらないとと、バタバタです。

しばらく忙しさにかまけて机の周りの片付けを怠りまして、

もう限界に達しておりました。

図面やら資料やら技術書籍やらで、これ以上行くとちゃんとした仕事できない!

周りには「机が片付いてないと、頭の中まで片付かない!整理整頓がいい仕事の条件。」

とか言ってますので、これはまずい。

名刺の整理も、机の中も、上も全部整理しました。

引き出しから出てくる出てくる、もう不要となっている書類が!

四次元ポケットであります。

やはり、整理整頓終わると、頭もすっきり整理されて、よりしっかりと仕事できます。

良かった。

そんな最中、友人からメール入りまして、

昔のバンドでドラムしてた友人のお父さんが亡くなったとのこと。

今日は御通夜です。

あれは確か、僕らがライブハウスに出始めた10代最後の頃、

演奏をしていると、パンチパーマでスーツ姿のめちゃくちゃ怖いおじさんが入ってきまして、

「うわー!なんかの抗争?」とかなりびびって、いざとなれば逃げる!

そう決意し、演奏しながら一番奥にいるドラムの友人にも伝えなければと思い、

説明すると、「あれうちの親父や!」とのこと。

「えー!」ってなって、ステージ終わってから話すとめちゃいい親父さん。

それからもたびたび色々お世話になった。

家にギター持っていって歌ったこともあったなぁ。

今日はいろんな思い出、思い出して手を合わせてこよう。

腫れ物

先日、右耳の下あたりになんか腫れ物ができまして、

なんか痛いけどそのうち治るかなと思い思い

ついついほってましたら、今度は耳の後ろが少し腫れてきた。

あんまり気になるので病院に行って参りました。

悪い病気じゃないだろうか、

ネガティブな状態であります。

待合室で名前呼ばれまして病院の先生と向き合う。

年の頃は僕よりも10歳くらい若いだろうか、男の先生。

でも病院の先生っていくつになっても「先生!」って感じ。

変にお年寄りの先生よりも親身に診てくれそうな気もする。

リンパが腫れて炎症を起こしているとのこと。

根掘り葉掘り色々と僕が質問するもんだから、ちょっと先生困惑気味でしたが。

薬で様子みましょうとのこと。

リンパ弱いみたいです。前から疲れるとすぐ腫れてきます。

そういえば昔、あんまり咳が止まらないものだから病院にいって

「肺炎」ですかね?と聞こうとおもってたのが間違えて「結核」ですかね?

と聞いてしまい、「血吐いたんか!」とびっくりした様子で聞かれたの思い出した。

内の父親は病院で 「前の病院でどんな薬のんでたの?」と聞かれ、

「抗生物質」と答えるところを「抗がん剤」と答えて医者に根掘り葉掘り聞かれたそうです。

遺伝ですか?

自分の結婚式で寝坊するという事件も

親子2代続いてしまっている。